米子城縁の神社
鳥取県神社誌、米府神社由来記によると「賀茂神社」は米子城鎮護の社とされ、軍神「湊山八幡宮」が合祀される以前から毎年正月、五月、九月には御天守に祈願札を納めたと記載あり。元来、例祭日を九月九日としたのも此れに基く事也と推察し、この日を米子城縁の日と定め、祭祀を執り行う事とする。又、昭和36年「賀茂神社」と「稲荷神社・天満宮」が対等合併により合祀されて以降、例祭日を五月一日としたのもこの古書に記された事に基くとされ、米子城縁の日と定め、祭祀を執り行う事とする。
 当神社は、天正19年(1591)吉川広家の命によって築城着手される以前より鎮座していたのは近辺の発掘調査により明らかではあるが、その証拠となる書物が無いのは残念である。
 いずれにしろ、旧米子町では最も古くより鎮座し、総産土神と尊崇されたのは間違いない。又、地形から見ても米子城の内堀に位置し城主を始め氏族の崇拝する格式高い社と崇められたのは事実であろう。
 現在、例祭日を7月25日と定める背景にも、9月9日→6月19日→7月19日→5月1日と変更された事例がある。鳥取県神社誌、米府神社由来記にはこれらの月日が例祭日として出てくるが、全て正しくその時代にはその日と定めて祭祀を執り行ったと推察できる。
 よって、米子城縁の社に相応しく五月一日と九月九日には厳かに祭祀を執り行い、七月二十五日には盛大に例祭を執り行い又、神幸祭を行う事により「賀茂神社天満宮」の神徳を広め恩恵を蒙りたいと願う所である。